ゲイリーマン浩平の紀行文です。旅行中に起きたささやかな出来事を筆者らしく文章にしています。今回は台湾人に恋をして振られる迄の数ヶ月を綴っていきます。vol.6は、主に「結末」についてです。


シャワーを浴び終えた忠永は、満腹になった野良猫のように、自分に背を向け「会社に戻る」と言った。「まじで?」と聞くと、逆に「なぜ?」と質問された。しばらく、呆然とし「What I am  for you? 」と噛み噛みの英語で聞いた。すると「You are just my Japanese friend.」と怪訝な表情を浮かべながら、忠永は答えた。まさに、天変地異である。昔、国語のテストで “筆者が最も伝えたいことを書きなさい” という問題文がよくあったが、いつも不正解だったことを思い出した。出会ってから今にいたる迄、忠永の最も伝えたいことを自分は完全に勘違いしていたのだ。

忠永は、放心状態の自分を見て「What’s wrong?」と言った。黙っていても何も伝わらないと気付き「I thought I be your boyfriend.」と答えると、失笑しながら「I’m a Taiwanese living in Taiwan, and you’re a Japanese living in Japan. Our countries and languages, cultures are different. It’s impossible to have relationship between us. You want to say to me “I miss you” every single night?」と言い放った。もはや、部分点も期待できないと悟った。

ぼそりと「I understand you.」と答えると「Let’s have lunch tomorrow.」と忠永は言った。そして「No thanks, because you are not my friend.」と言うと、面倒くさそうに「Okay, bye.」と言い残し、台湾人はホテルの部屋を後にした。バタンとドアが閉まり、窓のない部屋に1人になった自分は、閉塞感から過呼吸にでもなるのではないかと思った。ズキズキと痛んでいるのは心ではなく、ついさっきまで必死にちんぽを咥えていた唇だった。枕に踞り、あの台湾人と話している間、涙が出なかったことはせめてもの救いだったと安堵した。

今年、姉が自殺した。半年間、誰かに悲しみをわかってほしくて、人の優しさにすがっていた。空白の時間が怖かった。だから、自分を過酷な状況に追いつめ、疲れさせて眠りに就こうとした。でも、上手く眠ることはできなかった。そして、バンコクの旅行中に心臓発作でぶっ倒れて、帰国していろいろな病院に通った。原因は不明、自律神経がいかれたと自分で勝手に結論づけた。人という字は、支え合っている。自分は可哀想な人だから、自分は同情に値する人だから、きっと誰かが支えてくれると思っていた。でも、違ったのだ。人という字は、一時的な描写であり、本来、人は一人で立たないと、二画目の人は潰れてしまうか、どこかにいなくなってしまうのである。そして、その誰かになり得る人は、どんなに頭を巡らせてももう誰もいなかった。前に進む術は、一人で立ち上がる、それだけだった。

恋愛から学ぶことは多い。ただ、恋愛から学ぶことは、いつも自分自身についてなのかもしれない。俗にいう「恋愛の達人」は、恋愛を知り尽くした人ではなく、自分自身を知り尽くした人だと思う。自分は、これから先もまた恋愛をするだろう。いや、したいと願っている。その時は、誰かにとっての二画目の人でありたいと思う。

※プライバシーに配慮して、登場人物の名前は偽名になっています。また、若干の妄想も含まれています。

【編集後記】

あの時、抱いた感情を思い出しながら文章にするのは、改めて心をえぐっているようでなかなか辛い作業でした。それでも、直接会った友人たちが「ブログ読んでるよ!」と冷やかし半分ながらに応援してくれたので、最後まで書き終えることができました。とても感謝しています。彼と知り合ってから、5往復分も台湾行きの航空券を買ってしまったので、この夏は旅行に出ずっぱりでした。9月になった今でも、あと2往復分も残っています。締めは、彼へのメッセージを一言だけ。「小せぇんだよ!」有り難うございました。

<最終編集:2016年9月>


- 関連記事 -